「ハァアッ!」
裂帛の気合と共に、白い刃が振り下ろされる。
「・・・。」
沈黙のまま、上体の動きだけで私はその太刀を躱した。
「ヤッ、エイッ、ハッ」
何のことはなく、既に見切れている太刀筋。
眼前に繰り広がる連撃に、隙を見つけ私は呟く。
「終わり、です」
「―――っ!?」
豪快な破砕音と共に吹き飛ばされた相手は、離れた壁に背中から叩きつけられた。
「ぐ、はっ」
苦しげに、そんな息を吐く相手に、終と視線を移し私は告げる。
「それでは姉さん、私のことは―――もう、何度も言っていますが、私のことは忘れて下さい」
「い、嫌よ。嫌よそんなの!絶対、絶対諦め―――」
一歩、踏み出して手を翳す。
その動きに相手は表情を歪めた。
「さあ、洗脳[おしおき]の時間です」
「い、嫌ぁああああああー・・・」
-1-
「私の名は翡翠、八百万の吸血鬼の中、尚最萌を誇るらぶりぃ吸血鬼。
身を包むメイド服は、これは私の誇りであり、絶対に譲れません。
この大っきなマントは・・・まあ、日除けだとか雰囲気の演出に役立ちます。黒いですからね。
配下の死徒は数百、とはいいませんが、犬さんや猫さんや小鳥さんなんかを使い魔にしています。
言葉が通じないのが難点ですが、ギリギリ意思疎通は可能なんですよ?
お腹が減ったとかご飯が食べたいとか。
・・・主人の気苦労も知らずにいい気なものです。
そしてそこに転がっている割烹着の女の人ですが、彼女はヴァンパイアハンター琥珀といい、私の双子の姉です。 半分くらいは血がつながっています。
元々は遠野家に仕えるただの従順な和メイドでしたが、あ、いえ、ただのでも従順でもありませんでしたけど、
兎に角、和メイドだった姉がヴァンパイアハンターなんて訳のわからないことを始めた理由は、
どうやら私の吸血鬼を治す為みたいです。
吸血鬼の治療に関してはいつぞやのコスプレ錬金術師が無理という判断を下したはずですし、
私自身も無理と諦めていたというのに、
『任しといて翡翠ちゃん!おねーちゃんが絶っ対、治したげるっ!』
なんていって、意気揚揚と研究を続ける体たらく、
はっきり、ありがた迷惑ですね。実姉でなかったら吸血も止む無しです。」
そこまで言って―――
長々と説明的な独り言を終えて、翡翠は一つ息を吐いた。
背後に人の気配を感じたからである。
振り向いて、視線の先10メートル程の位置に人影を認め、翡翠は呟く。
「まったく、運の悪い・・・」
台詞とは裏腹に翡翠の表情に変化はなく、
むしろその台詞には自身の不運を嘆くというより、見知らぬ誰かを哀れむ響きが含まれていた。
人影から声が漏れる。
「ひ、人殺―――」
顔面を蒼に染めたその人影は、しかし言葉も途中に息を呑んだ。
スッ、と音もなく眼前に迫った翡翠に、驚愕と恐怖の綯い交ぜになった表情を浮かべている。
歳の頃は十五、六といったところか、
まだあどけなさの残る少女としては、悲鳴を上げなかったことこそ幸いといえる。
無言で視線を下ろす翡翠に、少女は言葉を失い、細かく震えていた。
「・・・失礼ですね、私は誰も殺してなんていません」
やや不服そうに翡翠が言うと、
ヒッ、と少女の喉から声ともつかない息が漏れた。
目には涙を浮かべ、その額には汗の滴が浮ぶ。
下半身を隠し上半身だけを見せたなら、失禁していると誤解されてもおかしくない程の、少女のこれ以上ない怯え。
そんな少女をみて、翡翠はため息を吐いた。
「話になりませんね・・・」
視線を外し呟いて、翡翠は片手を―――
「―――でもっ!」
少女の一言が翡翠の動きを止めた。
あの怯えようからは予想だにしない少女の発言に、軽い驚きの表情で翡翠が視線を戻す。
今にも溢れそうな涙を揺らし、震える両手を握り締め、少女は続ける。
「で、でもっ、血、血がっ!」
ガタガタと震える指で、恐る恐るといった風に少女は指を指す。
「・・・血?」
身に覚えの無いことに呟きながら、翡翠は少女の指標する先、自分の左頬に手をやった。
ぬるり、と指先に微かな粘性を持った液体の感触。
視線を向けるとそれは確かに赤い。
全て躱したと思っていたが、掠めていた?
というか、姉さん、本気で私を斬る気だったのか・・・
「か、返り血がっ・・・!」
何を覚悟したのか、ボタボタと涙を零して少女はいった。
後方に転がる姉に思索を巡らせていた翡翠はその一言にクスリと笑った。
「ひっ、こ、殺さないで、殺さないで下さい。何でもします、何でもしますから―――」
その笑みに反応。
胸の前で手を重ね、懇願するように、哀願するように少女は言った。
繰返す少女の台詞を無視して、翡翠は告げる。
「これは返り血じゃないです」
数秒の間
「―――へ?」
涙を流したまま、少女は間抜けな声を上げた。
翡翠は続ける。
「あそこに転がっている人に斬られた私の血です。これは」
「き、斬られたって・・・」
「突然襲い掛かってきたんです、だからアレは正当防衛ですね」
少女の疑問に、ちらりと後ろへ視線を向けながら翡翠は答える。
琥珀が襲い掛かって来たのは事実なのだし、正当防衛には違いないから嘘ではない。
「――――っ!」
やはり数秒の間をおいて、
自身の早とちりを恥じたのか、その顔を羞恥の赤に染めた少女は、勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ、わ、私勘違いを―――」
頭を下げたまま、大きな声で少女は謝罪する。
今どき珍しく素直な子だ。
「もういいです、気にしないでください」
ペコペコと頭を上げ下げする少女の肩に手を置いて、翡翠は赦しの言葉をかける。
それでも何度か頭を下げてから、ようやく少女は顔を上げた。
赤い顔に涙を浮かべ、少女はもう一度、ごめんなさい、と申し訳なさそうに呟く。
「・・・あの、訊いてもいいですか?」
「あ、はい。なんですか?」
数秒の沈黙の後の少女の言葉に、琥珀への報復処置を考えていた翡翠は現実に戻された。
「その、どうして、襲われ―――そこの人は襲ってきたんですか?」
と、琥珀を指差し少女は問うた。
眉根を寄せて翡翠は考える。
「あ、いえ。分からないですよね、そんなこと―――ごめんなさい、忘れてください!」
答えるべきか、答えざるべきか。
翡翠が迷っている間に、少女はその問いを撤回した。
「・・・分かります」
「そ、そうですよね、突然襲い掛かられたって言って―――え?」
「分かります。何故襲われたか」
翡翠は答えた。
この少女、見ていて面白いので少し暇つぶしの相手にしようと思ったのだ。
この思考はメイドだった頃には考えられないことだが、吸血鬼が原因だと理由付けて翡翠は続ける。
「私、吸血鬼なんです。そして、あそこに転がっている人はヴァンパイアハンター。襲う理由、襲われる理由としては申し分ありません」
しれっと告げる翡翠の台詞に目を瞬かせ、少女は言う。
「あ・・・あはははは、お姉さん冗談上手いで―――」
翡翠は傷ついた頬に手をあてる。
そして、拭うような仕草でその手を払った。
「・・・証拠です」
呟いた時には、既にあったはずの傷が消えている。
サァ、と少女の血の気が引く音が聞こえた気がした。
「ぁわ、あわわわわ・・・」
止まった涙が再度溢れ出し、赤かった顔が先に増して蒼に染まる。
「・・・さっき、何でもします。っていいましたよね?」
ブンブンと勢いよく首を振る少女。
「何でもしますから、殺さないで。って」
パクパクと口を開け閉めさせるも、言葉は出ていない。
必死の思いで動かした足がもつれ、少女は尻餅をついた。
「大丈夫、命までは取りません。ちょっと血を分けてもらうだけです」
スッ、と翡翠の顔が少女に接近する。
「そ、それはっ、それは死を意味するのではないでしょうかっ・・・!?」
首筋に翡翠の吐息を感じ、必死の思いで少女は言葉を紡いだ。
「大丈夫です、痛くしませんから」
「ぉ、ぉお、お父さん、お母さんごめんなさいー、わ、私の人生はここまでのようですー!」
そんな辞世の句を残し、
ブスリ、と皮膚を突き破る音と同時、少女は意識を失った―――
-2-
「ふぅ、ごちそうさま・・・です」
口元を汚す紅を拭って、翡翠は呟く。
くたり、と崩れ落ちた少女から視線を外し、ボタボタと出血する自分の腕に視線を移した。
「・・・子供をからかうのも命懸けです」
なんてことを呟くが、既にその腕は治癒が始まっている。
命なんて欠片も懸けていないのだった。
「さて」
いって、翡翠は少女の耳元へと顔を寄せる。
≪あなたを、何も見ていません≫
しっかり洗脳[アフターケア]を施し、スカートの裾を払って汚れを落す。
踵を返して足を進め、思い出したように翡翠は立ち止まった。
「・・・忘れるところでした」
そう独り言ちて、琥珀のもとへと歩み寄る。
腕を組んで十数秒の思考の後、翡翠は呟く。
「んー、やっぱり拘束衣ですかね・・・」
琥珀の耳元へ顔を寄せて小声で何事かを告げると、
満足そうに頷いて、その身を翻す。
「これで当分の間、両腕は使えません。バチです」
背を向けたまま、誰にとも無く呟いて、翡翠は歩き出した。
肩口に揃えられた艶やかな髪と、身を包む時代錯誤なメイド服。
大きな、その体躯には大き過ぎる程に大きな黒いマントを身に纏い、
吸血鬼・翡翠は今日も行く―――
らぶりぃ吸血鬼☆翡翠ちゃん/了
2004/01/23 17:11脱稿