「・・・姉さんはやり過ぎました。そして、私はそれを許すことは出来ません」
「あは、いい度胸ね、翡翠ちゃん。おねーちゃんに牙を剥くなんて・・・わかりました、ちょっとお灸を据えてあげちゃいましょう」
史上最強の姉妹喧嘩
ことの始まりは小さなこと。
今朝もリビングでは秋葉さまが頬を引きつらせていたのですが、
どういう意図か最近、姉さんはことあるごとに志貴さまに触れるのです。
それが正当な理由に託けての絶妙な行為であるが故に文句も言えず、
ナイムネお嬢様はイライラとストレスを募らせていました。
そして、
それはもちろん私にもいえること。
姉さんの動向に神経を削りながらもそれを表には出したりせず、
私は志貴さまとの束の間の時間を楽しみにしていました。
そこにきて今朝の姉さんの行為です。
私の仕事である志貴さまの見送りに同伴するだけでは飽き足らないのか。
あろうことか、いってらっしゃいのキスなどされて・・・
我慢なんか出来るはずがありません!
主を送り出した朝、遠野の屋敷。
涼しげな風の吹くその庭先で、翡翠と琥珀の視線が重なった。
「・・・いきます」
翡翠はそう呟くと同時、円の動きでゆっくりと両手を動かす。
ゆらゆらと残像を残すその動きは、暗黒翡翠流初歩にして最強の構え。
並みの相手なら見ているだけで幻惑させられるだろう。
対する琥珀は常着している割烹着を脱ぎ捨て、ピッチリと体のラインの分かるチャイナドレスに身を包んでいた。
いつの間に覚えたのだろうか構えは蛇を象る、蛇拳のそれである。
視線を逸らさず、獲物を狩る蛇のごとくジリジリと間合いを詰める琥珀に対し、
自身は一切移動せず、その両手の動きのみで相手の動きを待つ翡翠。
「いいんですか、翡翠ちゃん。謝るなら今のうちですよー」
このような最中にあって、余裕さえ窺える琥珀の表情は普段どおりの笑顔。
心なしか普段よりいきいきしているようにさえ感じられる。
「結構です。私も引きませんから」
端的に告げる翡翠も普段どおりの無表情。
いや、よく見ればその眉が怒りの形に歪んでいる。
交錯する視線と過去にない張り詰めた空気に遠慮したのか、周囲から風が凪いだ。
あと1センチ・・・あと5ミリと間合いが詰まる。
ゆらゆらと木の葉が落ちて、二人の視線を遮った。
―――ビッ
ハッ、という短い声と同時、木の葉を突き破り琥珀の拳が翡翠に迫る。
運足、呼法は共に完璧。さらに木の葉を用いて虚をついたその攻撃を、翡翠は難なく受け流し続けざま琥珀の側頭部へ手刀を繰り出す。
「―――破ッ!」
琥珀は身を沈めることでそれを回避し、その反動を利用しての上段前蹴りを放つ。
スッ、と無言のまま半身を引いて翡翠はそれをやり過ごすと、一歩踏み出し突き上げるように掌打を放った。
顎に迫るその攻撃を仰け反るよう躱し、そのまま後転で間合いを取って琥珀は言う。
「腕を上げましたね、翡翠ちゃん」
「・・・まだまだ、これからです」
「あは、言いますねー、どんどん行きますよー」
言ったと同時、琥珀は間合いを詰める。
笑顔のまま繰り出される琥珀の攻撃を受け流し、翡翠は流れるように反撃を繰り出す。
流れるような翡翠の攻撃を躱し、受け、琥珀は拳を突き出す。
「覚悟はいい?加速するわよー」
右手刀、左掌打、右横蹴り、左後蹴り、右上段回し蹴り。
絶えることなく次々と放たれる琥珀の攻撃。
「・・・くっ」
倍に増えた琥珀の手数に翡翠は半歩あとずさる。
「―――スキありっ!」
その隙を見逃さず前に踏み込み、翡翠に肉薄した琥珀は、ガシッと翡翠の両手をつかみ―――吹き飛んだ。
「きゃ―――」
軽い悲鳴と共に十数メートルを吹き飛ばされた琥珀は、地面に片腕をついたまま、信じられないものをみたように翡翠をみる。
「そんな・・・」
起き上がり、衝撃を受けた左頬を押えて琥珀は呟く。
両手は琥珀自身がしっかりと掴んでいた。
翡翠に足技はないはずだし、そもそも今のは掌底の一撃。
(なら、一体今のは・・・)
「どうしたんですか、姉さん? こないのなら、今度はこっちから行きます―――」
小声でいった琥珀の声を聞いたのか、その動揺を見て取った翡翠は、ぐるぐると腕を動かしたままススッ、と音もなく歩を進める。
「あは、言うわね翡翠ちゃん。けど、まだ負けませんよー」
唇に浮かぶ血をぺロリと舐め、改めて構えを取り直して琥珀は言う。
流水の動きに微かな残像を残し翡翠が迫る。
先とは一転し、今度は琥珀が翡翠の接近を待った。
その距離が数メートルまで達したことを合図に、琥珀はバッと腕を眼前で交差させる。
どこからとりだしたのか、その両手には4本ずつ計8本の注射器、もちろんその中は怪しい液体が満たされていた。
「さぁ、本領発揮よ、翡翠ちゃん覚悟はいいわね?」
いったと同時に投げられた注射器を、翡翠は事も無げに叩き落とし、そのままの歩みを止めずに琥珀に迫る。
後方では落下の衝撃で割れる注射器の音。
そして、その中から漏れた液体が、周囲の草を瞬時に枯らしていた。
「む、やりますね、翡翠ちゃん!」
同じようにして注射器を構え直した琥珀はいう。
「それなら、これです―――」
「・・・?」
宙空に放たれた無数の注射器を見上げて翡翠は首を傾げた。
琥珀は、ニヤリと笑う。
「BC・レイン―――避けられますか?」
今度は直線に3本の注射器が飛ぶ。
瞬時の判断で翡翠はそれを避け―――ハッとして真上を見た。
頭上2メートルの位置に降下中の注射器を確認し、翡翠は舌を打つ。
降り注ぐ注射機の雨の中、最初の一つがあたる寸前―――
「―――甘いです、姉さん」
背後からの声と同時琥珀は吹き飛ばされる。
地面に注射器が突き刺さる音と同時、それを中心に煙を上げて草が崩れていった。
翡翠はその煙から目を離し、数メートル先の琥珀に向き直る。
「なるほど、わかりました。翡翠ちゃんの能力の正体は・・・翡翠ちゃんのダブルですね?」
今度は口の中を切ったのか、口元から血を流し琥珀は言う。
「・・・流石は姉さん」
「今ので分かりました。高速での移動にも見えましたが―――速過ぎです。さっき翡翠ちゃんは、あそこに翡翠ちゃんが『まだ残っている』のに私の後ろに現れました。コンマ何秒の違いですけど、翡翠ちゃんは消えるより前に増えていたんです。両手を掴んでいたのに殴ることができたのも、それで説明がつきます」
「・・・その通り、暗黒翡翠流奥義どっぺる翡翠ちゃんです」
ズズッと翡翠の体が二つに増える。
「腕の円の動きと流水の動きで相手を幻惑し、どっぺる翡翠ちゃんであるはずのない攻撃を繰り出す。一人が注意を引きつけておいて、その隙に死角からもう一人が迫る・・・」
「・・・もちろんどっぺる翡翠ちゃんは幻影なんかではなく、消えるまでは実在するもう一人の私です。それは攻撃を受けた姉さん自身がわかっているはずです。」
ぐるぐると構えを取りながら二人の翡翠がいった。
「大した技ね・・・けど、タネを知っている手品で驚く人はいないわ。最初から二人を相手にしていると思えばいいのよ」
ニヤリとした笑みを浮かべ、琥珀が駆ける。
手に持つ注射器に写るのは2人の翡翠。
琥珀は手にするその注射器を投げ捨て、傍らに立てかけてあった箒を手に取る。
「少し、本気を出すわよ?」
「はい、手加減は無用で―――なっ!?」
言葉も途中に、瞬時に眼前に迫った琥珀を、二人の翡翠は紙一重で躱す。
刹那の間も置かずに、側方から琥珀の追撃。
「く、迅―――」
辛うじてその攻撃を受け流した直後、数メートル先ではもう一人の翡翠が攻撃を受け膝をついていた。
「縮地。いくら二人になっても捌き切れない迅さには対処できないものよ」
箒をくるくると回しながら、不敵に琥珀は告げる。
「これが、姉さんの本気・・・」
表情を歪め、翡翠は呟く。
その額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「ううん、違うわ・・・」
琥珀はにこにこと笑みを浮かべて続ける。
「そうね、今ので80%くらいかな・・・そして、これが90%―――」
「―――な、消え」
言い終える間もなく、隣から聞こえた打撃音に翡翠は振り向く。
そこには反応する間もなく倒され、煙のように消えるもう一人の翡翠の姿。
「・・・残念、ダブルの方だったみたいね」
その声に振り返ると、何もなかったかのように攻撃前と同じ位置に琥珀が立っていた。
「くっ・・・はぁ、はぁ」
荒い呼吸で翡翠は琥珀は睨む。
「そんなに怖い眼で睨まなくても・・・翡翠ちゃん、そろそろギブアップしない?もう、ダブルも作れないでしょう?」
「―――しま、せん」
ダブルを破壊されたことの影響。
ふらつく足、幻惑する頭で翡翠は構えをとる。
「姉さんに・・・志貴さまは、渡しません・・・」
「翡翠ちゃん・・・本気ね?」
「あたり、まえ・・・です」
息も絶え絶えに決意を見せる翡翠に、琥珀はため息をついた。
ぐるぐると腕を回しながら翡翠が動く。
「暗黒翡翠流ー」
最後の大技を繰り出そうと翡翠は気合を高める。
それに鳴動するように、大気が震え始める。
「わかりました、いきます。これが―――」
「御奉し―――」
「―――100%です」
琥珀の声と同時、息を吐く間もなく翡翠は崩れ落ちた。
痛みを感じる間さえなく、気を失い倒れる翡翠。
「ごめんね、翡翠ちゃん・・・でも、みんな翡翠ちゃんのためなのよ?」
手に持った箒をその場に捨て、気を失った翡翠に歩み寄り琥珀は呟く。
「ほんとはね、志貴さんにちょっかいを出して、秋葉さまの注意をこっちに向けている間に、翡翠ちゃんと志貴さんの仲を発展させちゃおうって。最近秋葉さま厳しいんだもん、翡翠ちゃんマークされてるし、可哀想だなって思ったの・・・」
膝の上に乗せた翡翠の頭を撫でながら琥珀は言う。
「そ、うだった・・・の、ですか・・・」
ゲホゲホと咳き込みながら翡翠が目を開ける。
「ひ、翡翠ちゃん!? 大丈夫なの?」
「そうい、う・・・こ、となら、早くいって・・・ください。もう・・・次は、許し、ませ・・んよ?」
にこりと笑みを見せ翡翠言う。
今回は赦します、と。
「ま、あ・・・次は、ないみたい、です、けど―――」
「も、萌え!ぢゃなくて・・・え、嘘!手加減したのに、ちょっとしっかりして!」
微笑んだまま、ガクリと、翡翠の体から力が失われる。
「翡翠ちゃん?翡翠ちゃんっ!?」
ユサユサと温度を失いつつある翡翠の体を琥珀は揺する。
「し、死んだふりしたってダメよ。い、息を止めてたって心臓の音を聞けば一発なんだから―――」
そういって、琥珀は翡翠の胸に耳をあてた。
そこから聞こえるべき音は聞こえてこない。
「・・・ひ、翡翠ちゃん?翡翠ちゃん!!」
翡翠に縋り琥珀は叫ぶ。
その目から、熱い雫が翡翠の頬に落ちた。
「い、いやぁああああーーー」
―――――パキン―――――
「ジャスト1分です。ユメはみれましたか?」
主を送り出した朝、遠野の屋敷。
涼しげな風の吹くその庭先で、いつもと変わらぬ翡翠がいった。
「あああぁ―――ぁ、ひ、翡翠ちゃん?」
涙を浮かべ、腰を抜かしたように地面に座ったまま琥珀は訊く。
「え、え?あれ、怪我・・・は?」
「落ち着いてください、姉さん。今のは全部邪眼です。私は怪我なんてしていません。」
ひらひらと腕を動かして健康をアピールする翡翠。
「―――じゃ、がん?」
放心したように、わけが分からないと琥珀は訊いた。
「はい、1分間のイリュージョンを魅せる洗脳探偵奥義です。さっきの姉さんのように自白させたり、洗脳したりするのに使用します」
えへん、と胸をそらせて自慢気に翡翠はいった。
「え、じは―――、あっ!?」
ハッとしたように琥珀は口に手をやる。
それを見た翡翠は、ため息をついて呆れたと肩を竦めた。
「まったく、姉さんの道楽には付き合いきれません」
「あ、あは」
「・・・笑い事じゃないです」
照れ隠しに笑う琥珀に手を差し伸べながら翡翠はいう。
「もう、今後は今回みたいなことはしないで下さいよ、姉さん?」
「あはは、ごめんね?」
浮かんだ涙を拭って、琥珀はその手を握る。
確かな体温にほっとして、琥珀は翡翠に抱きついた。
「きゃっ、ちょ、姉さん―――」
「・・・・・・。」
暖かい翡翠の存在感を琥珀は無言のまま全身で感じる。
「・・・もう」
ため息をついて翡翠は琥珀を抱きとめた。
ことの始まりは小さなこと。
どういう意図があろうと、ほんの些細なすれ違いが全てを狂わせる。
終わったことも過ぎたことも、元には戻らないのだ。
だからこそ、
悪いユメは終わらせて、明るい現実を歩いていこう・・・
「・・・ねぇ、翡翠ちゃん。どこからが邪眼だったの?」
「最初に姉さんと目を合わせたところからです」
「どっぺる翡翠ちゃんは?」
「ユメです」
「・・・勿体無い」
「姉さん!?」
史上最強の姉妹喧嘩/了
2003/04/27 22:30脱稿
<あとがき>
あー、これも懐かしいものです。
ういんぐ初の同人活動ですよー
まあ、さっぱり捌けなかった記憶しかありませんがw
※ このSSは2003年5月4日MOONPHASEで、合同誌「夢ノ続キ」に公開したものです。