魔狩る朱鷺色 22/魔狩る朱鷺色



22/魔狩る朱鷺色


「―――よもやこのような極東の地に貴様ががいるとはなアルクェイド・ブリュンスタッド。些か予想外に過ぎる。どういう風の吹き回しだ?」

ただ重く、高いのか低いのかすら判然としない声が響く。
感じるのは破滅的ですらある異質さ、違和感。
薄雲に遮られた月明かりの向こう。
風に靡く長い髪は周囲の闇と同化し、身を包むのはなお黒いスーツ。
肌蹴た上着から覗く同色のシャツは第二ボタンまで留められ、その全身は黒で統一されていた。
深い闇に浮かぶ、瞳を瞑ったその顔に、表情は無い。
漆黒を纏いし、闇色の真祖―――

「予想外っていうならこっちも同じよ、コソコソ隠れていたんじゃなかったの?わたしから逃げていたんじゃないの、ディ・ダークネス?」

腕を組み、薄く笑ってアルクェイドはいった。
白と黒。対峙する二人の真祖。
私は一歩退いたところで、そのやり取りを傍観する。
涼しげな顔のディに対し、アルクェイドが向けるのは凍える程冷たい視線。
その鋭い視線を意に介さず、ディは応える。

「くく、なに、逃げる必要など無くなっただけの話。紅い月にすら至れぬ貴様など恐れるに足りん。私が目指すのはさらにその先、今回こうして出向いたのも、思わぬところで空想具現化[マーブルファンタズム]の気配を感じたからに過ぎん。思い上がるなよ、ブリュンスタッド」

真祖の姫であるアルクェイドすら眼中にない、とディはいう。
ただ口を開くだけで身体の芯まで響く、深く重い威圧。

「ふん、そのものいいだと、やっぱり魔法には辿り着いたようね」
「無論だ、貴様が眠る間も時は流れている。五種全てとは言わぬが既に二種、現状において超えることこそ叶わぬが、従えるには充分過ぎよう。幾百の歳月を眠りに費やした貴様と、自身の進化に費やした私。それが今の貴様と私の差だ」
「へぇ、それで貴方はこんな場所で何をしているわけ? 残り三つ、魔術師を狙うなら日本なんて閉鎖的な場所より、イギリスやエジプトの方が適しているんじゃない?」

わからない、といった風にアルクェイドは訊く。
アルクェイドの言うとおり、魔術師を狙うのなら日本にいるのはおかしい。
確かに日本にも神道に通じる固有系統は存在するが、その絶対数や発展レベルは協会に比べるべくもないのだ。

「いわれるまでもない。今回、日本に来たのは極東の神祖に挑むため。魔術の蒐集が目的ではない」
「極東の―――って、真祖を超えるモノ?呆れた。そんな御伽噺を信じているなんて」

驚きと呆れの混在する表情でアルクェイドはいった。

「御伽噺とて馬鹿には出来ん。ORTを潰し、TheDarkSixの不在の今、私の力を計れる存在は限られるのだからな」
「・・・ORTを潰した?あの化け物を?」

今度こそ、驚愕に目を見開きアルクェイドは呟く。
ORT、死徒二十七祖の5位にして次元違いの能力を保有するとされる死徒。
噂ではその能力は真祖のそれを凌ぎ、実質の最強と謳われる。
南米に棲むその死徒をディは倒したという。

「貴様とて最強の一つ。いずれと我が力を試そうとも考えていたが、とんだ思い違い。『蛇』に奪われた力こそ取り戻したようだが、人間如きを連れた今の貴様にかの日の力があろうはずもない」

ピクリ、と傍観していた私はその言葉に反応する。

「―――聞き捨てならないわね、人間如きですって?」

一歩踏み出して私はいった。
ディの発する威圧は、ただそこにいるだけで圧し潰されそうなほど桁が違う。
あの路地裏でのアルクェイドに匹敵、あるいは凌駕するその存在感。

「・・・何が気に障る人間。貴様らは所詮我らの糧でしかない。飲まれ、殺され、使役される活き人形。それが貴様ら人間だ」

煩わし気にディはいう。
それが摂理だ、と。

「あなたがそれをいうの?」
「・・・なに、?」
「死徒のように自己保存の為ならまだしも、欲求のまま抑えられる衝動に負け血を吸い始めたあなたがそれをいうの、ディ・ダークネス? 『マテ』は犬や猿でも出来ることよ」

ピク、と初めてディの表情が変化した。

「人間風情が知ったような口を・・・」

不快そうに眉を寄せ、ディがいう。
警鐘を鳴らしつづける本能を叱咤し、私はディを見据える。
チラリと一瞬、私の方に視線を向けたアルクェイドが口元を上げた。

「別に、あなたが誰の血を吸おうが私の知ったことじゃないけど。魔術の蒐集? 自身の欲に理由ををつけるあなたに摂理を謳う資格はないわ」
「・・・おもしろい、我が蒐集を愚弄するか」

ズン、とディの放つ威圧が増した。
初めて向けられる明確な敵意。
背筋に針を打たれたような、鋭い痛みを伴う寒気が走る。
息を吐く。

「―――どうでもいいけど。あなたは殺すわよ、ディ・ダークネス」

端的に、私は告げる。
これ以上の話は無意味、どうせ殺すか殺されるか。
否。これから殺す相手の主張を聞く程、私はお人よしではない。

「くく、思い上がるなよ、人間。少しばかり異能の血を引いているようだが、その程度でこの私を殺すだと?」

カツンと乾いた音と共に、一歩ディが近寄る。

「・・・。」

ビリビリと肌に感じる威圧の中、音もなく無言で錐を構える。
同時、視界の隅でアルクェイドが腕を解き、ユラリと自然体に構えをとった。
沈黙が流れる。
静寂は微かな街の音と張り詰めた緊張を伝え、対峙するその空間はさながら陽炎のように歪み始める。

「よかろう、貴様ら二人。共に我が礎と消えよ」
「―――いくよっ、姫流!」

静寂を破るディの声とアルクェイドの声が重なった。
同時、錐を放った私は、爆ぜるように地を蹴りディに迫る。
風を切りながら距離を詰め、瞬間的に思考を巡らせる。
第一擲の錐が十六。
鉄甲作用により放たれるその攻撃は、傷こそ付かなかったがアルクェイドすら吹き飛ばしたものだ。
受けようが避けようがそこには必ず隙が出来る。
そしてさらに、視界の隅に残像を残しディに迫るアルクェイド。
この二つの攻撃を捌ききることは無理だ、故にこの三撃目を防ぐことも不可能。
―――、一瞬で終わりだ。
七本の錐を手に私は追撃に迫る。

「―――!?」

十六の錐の当る刹那。
闇がディを覆い、私の初撃が空を切った。

「姫流っ、後ろ―――!」

アルクェイドの声に反応。
袖口から出した紐分銅を背後に放つ。
瞬時に私が振り返ったのと、視界の先でディの姿が消えたのが同時。
驚く間さえなく、体術で慣性をキャンセルしつつ、刃を戻す。
素早く巡らせる視界にアルクェイドの姿を認めた直後、その頭上に現れたディの姿を捉える。

「上っ!」

声を張り、ディへ向け錐を投擲。
私の声に反応したアルクェイドは、鋭く頭上を見上げた。
差し出されたディの手から伸びる螺旋を描く闇。
迫るその攻撃をアルクェイドは片腕で防ぐ。

「―――っ」

鈍い打撃音と共に、眉を顰めたアルクェイドがその場を飛び退いた。
直後、ディの姿が闇と共に掻き消え、的を失った錐が貯水槽に突き刺さる。
豪快な音と共に、その亀裂から水が噴き出した。
辺りを見回して―――舌を打つ。
堰を切り、噴出す水流の向う、大破した貯水槽のその上に、音も無くディは立っていた。

「・・・無様な、これがアルクェイド・ブリュンスタッドか、これが最強と謳われる真祖の姫の力なのか?」

激しく床を叩く水音を背に響く、その声には驚きと困惑。

「ありえん。如何に私の力が増していようと、ただの一撃でその様。貴様、一体どれほど弱体化して、」
「うるさいわね、このくらいで勝った気になるんじゃないわよ」

ぞんざいに言い放つアルクェイドに視線を向け、私は目を細めた。
だらりと力なく下がったその左腕は完全に折れている。

「アルクェイド、あなたその腕・・・」
「へーきよ、このくらい」

ディを見据えたまま、振り向くことなく応えるアルクェイド。
嫌な角度に曲ったその腕を、右腕で矯正しながらアルクェイドは続ける。

「それよりも、目を離さない方がいいわよ姫流。気を抜いてたら―――、一気にやられかねない」

頷いて、視線を戻す。
元より気を抜くつもりなどないが、甘くみていたのは確かだろう。
相手は真祖、一瞬の気の緩みも命取りになりかねない。

「・・・治らんよ、治るわけがない。いくら矯正したところで、いくら貴様とて、その傷をこの場で癒すことは不可能だ。ブリュンスタッド」

つまらなさげにディは告げる。

「それに・・・虚勢を張ったところで、貴様らが私を倒すこともありえん。そのくらい」
「―――やってみなくちゃ分からないわよ!」

そう叫び、ディの声を遮って私は跳んだ。
幾分か勢いを弱めた水のヴェールを突っ切りディに迫る。
背後でアルクェイドの動く気配。
空中で刃を放ち、接地と同時に方向を切り換え右に回る。
刃に続く絃が残す軌跡は、大きな弧を描き薄闇に煌く。
回り込んだ死角から錐を投擲、さらにそのまま滑るように右へ移動。
絃によるディの包囲が完成する。
瞬間移動にすら思える、その移動方の確認が目的―――これだ。
チッ、と軽く舌を打って刃を戻す。
前後から迫る錐と刃、二つの攻撃の当る瞬間、闇と共に眼前のディが消えた。
その周りを囲んでいた絃に変化はない。

「―――分かったかね?」

背後からディの声。
その威圧感に反射的に振り返る。

「くっ」

ディの姿を視認するよりも速く、白い影が眼前を横切った。
亜音速によるアルクェイドの攻撃が空を切る。
轟音と共にビリビリと震える大気の中、視線を巡らし瞬間的に思考を加速。
絃に変化はない。つまり、ディは文字通りそこから消えた。
その移動は速度によるものではなく空間によるもの。
ならばその対処法は―――

「姫流っ!」

後ろからのアルクェイドの声に私は振り向いた。
一秒足らずの間、その視線が交差する。
私の頷きを合図に、残像を残し爆ぜるように移動するアルクェイド。
その軌跡の先でディの姿が消える。爆音。
刹那、ディが現れたのは私の頭上。
私は微動だにせずに目を閉じ、その気配に集中する。
先のアルクェイドの腕を折ったものと同じ攻撃が迫り―――消えた。
稲妻の如く鋭く、瞬時に方向転換したアルクェイドが私の直上、ディの居た場所を通過する。
鼓膜を叩く爆音と風圧に髪が乱れる。
左前方十メートルにディの現れた気配。
刹那の間をおかずにアルクェイドが追撃に動く。
ディが消え、アルクェイドが追撃。
私はその繰り返しを無言で分析する。
加速した思考が現状の把握と予測のみを行う。
数十分にも数時間にも思えるが、実際には数分、あるいは数十秒。
濃縮された時が流れる。

「―――そこっ!」

予測と現実の誤差―――その溝が埋った。
発声と同時、放たれた錐が銀の軌跡を残して闇を翔ける。
放つ錐は一撃必殺。
第七聖典より精製されし錐が二本、その周りを囲む錐が4本。
しかし、軌跡の先には何も無い。
ちょうど二十度目、アルクェイドの攻撃が闇を駆け抜け―――

「―――む、っ!?」

三時の方向、距離は十八メートル。
無音で現れたディの左腕に、派手な打撃音と共に六本の錐が突き刺さる。
その衝撃はディを吹き飛ばし、そのまま柱に叩きつけた。

「ナイス、姫流っ!」

轟音に紛れてそんな声が聞こえた。
白い残像を残しアルクェイドがディに駆け寄り―――ピタリ、と止まった。

「これは・・・第七聖典か。ふむ、片腕をもっていかれたか」

揺らめく漆黒の中から、そんな呟きが聞こえる。
闇に触れる寸前で動きを止めたアルクェイド、その頬を額から一滴の汗が伝って落ちた。

「よもや転生批判の外典が出てこようとは・・・この私に一撃を加えたことといい、くく、なるほど、見くびっていたようだな」

これまで感じていた威圧が消えた。
揺らめく闇は闇よりもなお昏く、蠢く胎内を連想させる。
あるいは、過重に耐えかねた感覚が麻痺をしたのか。
その異質さはこれまでの比ではなく、冷たい汗が背筋を伝う。

「人間。―――名はなんという」

ディが問う。

「姫流―――、七夜姫流」

詰まる息を抑えて私は応えた。
わけもわからず、ただ壊れたように警鐘を鳴らし続ける本能。

「・・・七夜姫流。アルクェイド・ブリュンスタッド。敬意を表し見せよう、これが私のチカラだ―――」

一瞬にして膨張し、昏い闇が迫る。
不思議と恐怖はなかった。
回避どころか指先の一本すら動かす暇も無く、眼前に迫ったその闇が私を呑み込む。
遠く、私の名を呼ぶアルクェイドの声が聞こえた気がした―――


・・・・・


「―――っ、く」

闇の中、アルクェイドは息を吐いた。
周囲に見えるものは何も無く、既に姫流の姿も見失っている。
チッ、と舌を打った。
五感は完全に遮られている。
真祖のそれを以ってして、それでも周囲の様子を窺うことはできない。
それもそのはず、周囲を覆う闇。
これは―――

「ほう、流石は王族・・・ここでまだ意識を保っているとはな」

音ではなく、頭の中に直接響くディの声。
方向も距離もなく、足場さえ危うい完全な異界。
額に汗を浮かべ、アルクェイドはいう。

「・・・なんてこと・・・あなた、これ―――」
「そう、根源の具現だ。これこそ私の蒐集の集大成・・・空想具現化でも固有結界でもなく、世界を直接に引き摺り出すこの秘法。枠の中に在るモノには、何人足りとて抗うことは叶わん」
「根源なんて、カタチのないモノを現出させるなんて・・・」

膝を付き、力なくアルクェイドは口を開く。
苦しげなその顔には驚愕、そして苦渋の色が浮かぶ。

「そんな・・・ありえ、ない」
「ありえぬからこそ魔法であろう。それを眼前になお信じぬのは、無知を超して愚かだ」

ディは笑う。
頭に響くその笑いに、アルクェイドは奥歯を噛み締め立ち上がる。
根源の現出により、引きずり込まれる自我と、呼び起こされる自身の起源に、頭を振ってアルクェイドは抗う。

「まだ、立ち上がるだけの気力があるか。それでこそ、だ。足掻いて見せよブリュンスタッド―――む、」

何かに気づいたように、一瞬の沈黙。

「驚いた。七夜の娘も未だ意識を残しているようだな・・・」
「―――姫流、が?」

アルクェイドは目を見開いた。
時間の概念すら曖昧なこの場において、姫流の無事を確認できたのは僥倖。
生きているのなら、まだ間に合う。
四肢に力を込め、アルクェイドはディの位置を探り始める。

「・・・意識こそないようだが、先の第七を振り回されるのも厄介なのでな。七夜の目覚める前に、貴様は片付けさせてもらう」
「な―――!?」

押し寄せるのは圧縮され濃縮された漆黒の闇。
遮断された視覚においてなお暗く、闇がアルクェイドを覆い尽くす。
辛うじて抗う、最後の意志が霧散した―――

グラリ、と蹈鞴を踏んだ。

「―――なかなかに面白い。失敗作をしてこの域に至ったか」

俯いて、ゆらりと面を上げた白い姫はいった。
先ほどまでの苦しさは微塵も見せず、発する声は厳然を極める。
全身を覆う闇に変わりなく、その姿にも変化はない。
ただ、その身に纏う空気が変わっていた。
ディが呟く。

「・・・朱い月、か」
「いかにも、名乗るのならば朱い月であろう。この身に眠りしこの私を起こしたのは他でもない。汝であるぞ」

そういって、朱い月が見つめるのは闇の一点。
距離も方角も、存在する位置すら意味を為さない具現された根源において、それでも確固とした意思を以ってそこを見据える。

「はっ、アラヤでもガイアでもないオリジナルに遭えるとは、私の秘法と同位に在る化け物に相見えるとはな・・・! くく、何といったか、そう、吉日。今日は吉日に違いない」

込み上げる嬉しさを抑えきれない、といった風にディは笑う。
その笑いに朱い月は不快そうに眉を寄せた。

「否。今日は汝にとって厄日である―――姿を見せよ」

いって、朱い月は片手を翳す。
周囲の闇はそのままに、スゥと静かにディの姿が闇に浮かぶ。
引き摺り出され現出した自身に気づいたのか、ディはぴたりと笑いを止めた。

「・・・この場において、それだけの能力を発揮しようとは、流石は朱い月」
「しれたこと、汝自身いっていたであろう。朱い月はガイアでもアラヤでもありえぬ。いかに汝が世界を従えようと、同位にある私に影響など及ばぬが道理」

つまらなさそうに言って、つい、と折れている自身の左腕に視線を落とす。
淡い光と共に、一瞬にしてその腕が再構成された。

「もっとも、世界の力を汲むアルクェイド・ブリュンスタッドではこうはいかぬであろうがな」

朱い月のその言葉にディは静かに笑った。

「そう、それだ。まさしくそれを望んでいた。それでこそ私の力を試せるというもの。朱い月よ、その最期まで付き合ってもらうぞ・・・!」
「解らぬか、汝が自慢のその秘法。この私には通じぬぞ」

瞬間、闇を押し退け大きな空洞が出来た。
朱い月を中心にして、大きさはおよそ直径十メートル。
具現されし根源を、朱い月という世界が侵食する。
告げる言葉に偽りなく、その闇を退ける朱い月。
ディがいった。

「忘れたか、朱い月。言ったはずだ。貴様とこの秘法は同位である、と」

真円を描き拮抗するその境界がビリビリと鳴動し、歪む。
朱い月より膨張し、拡大する空間と、それを圧し抑える漆黒の闇。
鬩ぎ合う二つの世界。

「世界そのものを具現するこの秘法。同位にある貴様を呑むことは出来ずとも、同位であるからこそ、その質量を以って圧し潰すことは可能だ」
「・・・この私を圧し潰す?異なことを、その身を知れディ・ダークネス。我が名は朱い月のブリュンスタッド、真祖の王である」

朱い月を中心とした空間がグンと広がる。
領域を拡大し闇を侵食、その境界がディの顔前に肉薄した。
揺れるディの髪が数本、バチバチという激しい音と共に弾け飛ぶ。

「・・・・・・。」

無言で、微動だにせず佇むディの顔に表情は無い。
キッと鋭く、ディを睨みつける朱い月。
拮抗する境界が数ミリ、ディに迫り、止まった。
否、止められた。
一見して、優勢にみえる朱い月の表情には苦い色が浮かんでいる。
不快な顔もそのままに、朱い月は音も無く翳した腕をそのまま横薙ぎに払った。
薙いだ指先の軌跡が五本、ディを目掛け直進する。
例えるなら、紅く鋭い陽炎。
空間すら切り裂かんとするその攻撃が、紅い質量を伴いディに迫る。
同時に五つ、ガキンという鈍い音が辺りに響いた。
二つの世界の狭間で煙が巻き起こる。
数間の沈黙。

「―――底は見えた、朱い月」

永く短い沈黙を破ったのは、煙の向うより紡がれた声。
ピクリ、と朱い月は目を細める。

「アルクェイド・ブリュンスタッドを依り代に、この秘法を凌駕することは有り得ん。惜しむらくは、真にオリジナルな貴様が滅ぼされていたことか・・・」

煙が引いて、そこにあるのは傷一つないディの姿。
世界を隔てる境界は、たかだか数センチ向うのディに傷一つ許さない。
朱い月の攻撃は、その全てが遮断されていた。

「さらば。滅びよ―――」

端的に、ディは告げる。
その声に追従するように質量を増した闇が、紅い月ごと世界を潰しにかかり―――

「―――そうはいかない」

凛と響いたその声と同時、ディの周囲に白色の炎が巻き上がった。
完全な不意をつき、数千度の炎がディを焼く。
漆黒の闇の中、ディと同じ黒を纏い、轟々と猛る炎が照らす銀の髪。
燃え盛る灼熱とは対照に、底冷えするような冷たい視線を向け、
魔女―――伏見銀迩が立っていた。

「残念だけど、滅ぶのはキミだ」

銀迩が呟く。
丸々ディを呑み込み、なお勢力を強める業火は魔女による魔法。
紅い月に集中していたディに対処する術はなく、そして、真祖といえども致命的な超高温。
終わった―――
十人が十人、誰もがそう答えるであろう現実を目にして、それでも銀迩は油断なく鋭い視線を向けつづける。
事実、周囲に広がる闇は消えることなく存在していた。
つい、と銀迩が向けた視線の先には、闇の中ポッカリと空いた直径が五メートルほどの空間と、その中心に佇む女の姿。

「あ、キミはそのまま維持しててくれ。アルクェイド・ブリュンスタッド―――今は朱い月、だったかな」

軽くいって、銀迩は視線を戻す。
軽い驚きと、警戒の色を浮かべた紅い月が口を開きかけ―――
刹那、螺旋する闇がディを覆った。
触れる炎を掻き消し、呑み込む漆黒の螺旋。
その向うから、重く冷たくディの声が響く。

「・・・魔女、か」

燻る炎の残滓と、灼熱の余韻。
魔術による加工でも施していたのか、ディの身に付けるスーツはその末端が燃えただけに留まっていた。

「今のは肝を冷やした。このような地に未だ魔女の生き残りがいようとは・・・根源の具現たるこの場において、そのレベルに自己を保つ点も含めて、流石といったところか」
「こんなのは大したことじゃない。あらかじめ知ってさえいればそう難しくないことだ」

感心するようにいったディの表情が、その一言にピクリと動いた。
忌々しげにディを見据え、銀迩は続ける。

「おまえのこれを見るのは二度目だといっているんだ、ディ・ダークネス」
「何・・・?」
「ちょうど今から十年前の夏、場所はギリシア―――デルフィ古代遺跡。そこでおまえは魔女と戦った」
「・・・たしかに、この秘法を初めて発現したのはその場である」
「いたんだよ、俺もそこに。おまえが吸血したその魔女は俺の肉親だ」

思い出すように告げる銀迩の声は冷たく、纏うのは凍てつくほどに鋭い殺意。
ほう、とディが息を吐いた。

「つまり、仇討ちか」
「冗談。おまえの去った後、死徒化するそれを殺したのは他でもないこの俺自身。弱者が強者に搾取されるのは摂理だろ、問題なのはその場において最弱だった自分が生き延びていたことだ」

苦々しい表情。過去に思いを馳せ、銀迩はそう言い放つ。
一瞬、考えるような表情を浮かべ、ディはいった。

「・・・わからぬな、何故それが問題なのだ?その場に居合わせたのなら、生き延びたことこそ僥倖だろう」
「分からないならそれでいいさ」

呟いて、銀迩は続ける。

「おまえが知っておくべきことは、ここがおまえの死に場所になるということだけだ。弱者としてこの場に散れディ・ダークネス」

その一言に、嘲るようにディは笑う。

「くく、ここが私の死に場所だと? デルフィで何をみていたのか、魔女ごときにこの私は倒せんぞ」
「今の不意打ちで倒せなかったんだ、そんなことは分かっているさ」

フッ、と自嘲気味に銀迩は笑う。

「周りをみろ、ディ・ダークネス。おまえの敵は一人じゃないはずだ。それに―――」

そこで、何かに気づいたように、言葉を区切る。

「それに、おまえを倒すのは俺じゃない」

瞬間、周囲を覆う闇が霧散した。


・・・・・



ああ、私は死んだのか―――
それが、
真っ暗な闇の中、気付いた私の最初の思考。
暑くも寒くも、そもそも五感の機能しないこの場所では、自分の肉体の存在さえ感じられない。
在るのは胡乱な思考と、裸の精神[ココロ]だけ。
だから、腕を動かそうとか、足を動かそうとか、そんな発想すら浮かぶことなく、
俯瞰する自身だけが、ただただ滑稽だった。


時間の概念すら曖昧で、億年の月日も刹那の刻も意味を為さない闇の中。
止まり流れる狂った時に身を任せ、闇雲に思考だけを巡らせる。
過ぎ去れば一瞬。
しかし、その場においては限りなく永遠。
熱に浮かされたように胡乱に、研ぎ澄まされた刃の如く鋭く。
幾千幾万の思考が浮かんでは沈んでいった。
気が狂いそうなほど、闇はどこまでも闇で、そこには何もなかった―――


何度目か、数えるのさえ馬鹿らしい。
幾度となく浮かび、消えていったその思考。
闇に呑まれる直前のことを思い出し、赤色の怒りが思考を埋めていく。
怒りの対象は他でもない自分自身。
一矢は報いた―――が、それだけの話。
あれだけ言っておきながら、結局のところ私は何もしていないのだ。
なんて愚か、なんて思い上がり。
なんて、無様―――
ああ、だけど。
怒りを感じる程度には、自分はまだ壊れていなかったのか。
気付いて、そんなあたりまえに安堵する。
しかし、それも仮初だろう。
呼び起こされるのは、私の奥底に眠るモノ。
自身の起源ともいえるそれらに触れ続けて、いつまでも耐え切れるものではない。
だから、唯一のこの思考さえ、今この瞬間に失われてもおかしくない。

『―――姫流ちゃん、』

幻聴か、そんな、誰かの声が聞こえた気がした。
笑ってしまう。
生まれからおよそ普通とかけ離れている私は、いつだって孤高でいたはずだ。
普通なんて、知らない。
それを羨む心なんて、いらない。
私は、別物なんだから―――
それが。
それが、今は幻にすら多者を求めているのか。
底が知れる。どこまでも半端で、どこまでも無様で、私はこんなにも弱かったのかと泣きたくなる。

『―――姫流ちゃん、目を覚ましてください・・・!』

もう一度、確かに聞こえた。内から湧き上がるように暖かい声。
トクン、と心臓の脈打つ音。
まどろむようにゆっくりと、私は忘却された五感を取り戻していく。
聞き覚えのあるその声が、私に活力を与えた。
しっかりしろっ、と叱咤する。
この程度で音を上げていて何が七夜だ。

―――私はまだ終わっていない・・・!

息を吐いて、右手小指に神経を集中する。
生まれたての赤子のように手探りに、私は身体を動かしてみた。
全身に神経が行き渡り、自分の身体の無事を確認する。
特に怪我らしい怪我はないし、痛みもない。
目を閉じたままだということに気付いて、開いた。
そこにあるのはやはり真っ暗な闇だけ。
私はため息をついて―――ドクン、と血が昂ぶる。
闇が、グラリと揺らぐ。

―――どくん

身体を取り戻したことにより、ソレに気付いてしまった。

―――ドクン

私は自分の中を流れる二つの血を、その流れを感じた。
この闇に触れたせいか、それは過去にない程強く。
深きに眠る遠野の血が猛り、七夜の血が騒いでいる。

―――どくん、ドクン

七夜の血に、遠野の血が介入する。
抑圧されてきた遠野の血。
それは、七夜として生きる私が頑なに封印してきた異なる力。

―――ドクン、どくん

相反する血の暴れ、身を焼く苦痛。
それは、私にとって未知であり、不可侵の領域である。

『姫流、闇色の支配者―――って知ってるかい?』

そんな、誰かの言葉を思い出した。

『宿命なのよ。私に流れる血、七夜と遠野。魔を狩るモノと魔なるモノの呪縛、それを断ち切ることで私は私を超えられる。だから――― 』

そういった、自分の意志を思い出した。

―――どくん、ドクン

逃げてはだめだ。
この忌まわしき宿命に、私は立ち向かわなくてはならない。
私が私を超えるために・・・

「だから、私―――七夜姫流は、ディ・ダークネスを殺す 」

私は、それを、開放した―――

―――どくん/ドクン

開放された遠野の血が、七夜の血に拮抗する。
瞬間、周囲を覆う闇が霧散した。

「な、―――に!?」

静かに、側方より聞こえたその声に視線を動かす。
闇が晴れ、月明りが照らすのは驚愕に顔を歪めるディの姿。
その向うには、どこか雰囲気の違うアルクェイドと、いつの間に現われたのか銀迩の姿もあった。

「貴様―――いったい何をした、七夜姫流・・・!」

応えず、ついと視線を落とし、試すように視界に入った手を握る。
自身の奥底で静かに、灼熱の如く猛る二つの血。そして、漲るチカラ。
顔を上げ、視線をディに戻す。
ビリビリと向けられる敵意はこれまでで最大のもの。
しかし、そこにはこれまで感じていた威圧や恐怖はない。
交錯する二つの視線。

「その瞳、―――魔眼か」

気付いたように、ディがいった。

「否。如何なる魔眼であろうと、この秘法を―――根源を打ち消すなどありえぬ。故にこれは何かの間違いである・・・!」

一瞬、ディの周囲に闇が霞み―――次の瞬間には霧散した。
覚醒した遠野の血の影響か、霧散した闇が魔眼を通して身体に漲る。
退魔の魔眼、私はその力を実感する。

「―――馬鹿な、何だこれは。何故、我が秘法が―――根源が具現しない!?」

それは、同族嫌悪。
内に流れる遠野の血が、自身に擬似する魔を討てと、白痴の如く喚き散らす。
それは、潜在意思。
内に流れる七夜の血が、眼前に在る魔を狩れと、呪詛の如く繰り返す。
相反し、拮抗する二つの血の、その意思が一致する。

―――ああ、なんだ。

騒がしくも静謐に、

―――こんな、簡単なこと。

発狂するほど大人しく、

―――そういうことだったのか。

   二つの血は収斂した。

「む・・・」

私の内の変化をみてとったのか、ディが顔を顰める。
今にも溢れ出しそうな力を抑えて、知らず私は笑みを浮かべていた。

「何が、おかし―――」

ディの言葉も途中に、私は試すように一本の錐を投擲した。
雷光の如き速度で迫るその錐は、第七聖典のものではなく、ただの錐。
反応する間さえなく、速度と荷重により濃縮されたエネルギーは、一切の無音でディの肩から先を抉り取った。
千切れ飛んだディの左腕が塵と霧散する。
呆けたように、失われた腕に顔を向け数秒。

「何故だ・・・!」

瞬間移動による回避に失敗した事実も忘れ、混乱したディが喚く。

「満月の夜に!真祖の私が!ただの錐の一本による傷が何故再生しない!?」
「―――ほう。根源すら呑む器、か。「 」の眷属とは・・・ふむ、数十年前の直死の少年といい、アレの出会う者には毎度驚かされる」

見苦しく喚くディの向うより、アルクェイドが口を開いた。
腕を組み、傍観して言い放つその口調は、普段のアルクェイドのものではない。

「貴様―――!」
「闇色の支配者―――か、汝の終焉には彼女こそ適任。私はここで傍観しているとしよう」

呟くように紡がれたその言葉に、ディが口を開きかけ、

「いいのか、ディ・ダークネス。余所見などしていて」

遮った銀迩が続ける。

「―――殺されるぞ?」

ピクリと、ディが反応した。
その一言に自分を取り戻したのか、間を置いてディは口を開く。

「・・・殺される?この私がか?「 」の眷属?根源を呑む器?おもしろい。ならば見せてみよ、殺してみせよ!我が全霊を以って返り討ちにしてくれる・・・!」


片腕で、残ったディの右腕を、その周囲を漆黒の闇が螺旋する。
この魔眼を前にして、なおその力を顕現し続けるあたり、なるほど、流石は闇色の支配者の名を冠する者だ。
顕現し、霧散し、顕現する闇。根源。
しかし、霧散するそれは同時に、私の力として無尽蔵に昇華されていく。
過去に類をみないこの昂ぶりは、ともすると自己を見失いかねない程に強く。
正気と狂気の狭間で、薄く笑って私は錐を構える。
ひとこと、告げた。

「       」

ディが笑う。
そして、低く、重圧する気合。
直後、闇を纏いし腕を以って、刹那の間にディが間合いを詰める。
アルクェイドですら視認するのは困難であろう、闇の残滓を残す、瞬間移動じみたその絶対速度。

―――しかし、それさえも鈍い。

フッと音もなく、十七の錐がディの身体を通過した。

「―――見事だ、七夜姫流」

サラサラと、塵へと還る穴だらけの身体。
残った首だけで、ディが言った。

「そうか、ここが私の死に場所、か―――」
「さよなら。ディ・ダークネス」

呟いて、放つ。
穿った錐のあとには、もう。
塵一つ残っていなかった―――









/エピローグ

深夜。
見上げる空には、あの夜と同じ大きく満ちた円い月が浮かんでいた。
荒廃したビルの屋上には、誰にも気付かれることなく、あの日の傷痕が残っている。
あれから一月。
街は相変わらず相変わらずだし、そこで生活する人々にも変わりはない。
かといって、全くの無変化かというとそうでもなく、四季は控えめに移り変わっていたし、私は一月分だけあの日より髪が伸びていた。
要するに、あたり前の変化があたり前に起きていただけであり、とりたて大きな変化などあるはずもなく、どちらかというと平穏な一月を私は過ごしていた。

―――あの夜、ディを倒した後のことを私は良く憶えていない。
気が付いたのは遠野の屋敷の中だった。
後から聞いた話によると、あの直後に倒れた私は丸一週間眠り続けていたらしい。
それは昏睡というよりは睡眠で、大事には至らないという琥珀さんの判断により、病院に運ばれることもなく、私は遠野の屋敷で眠り続けた。
そうして目覚めた時には、アルクェイドの姿はなかった。
丁度私が目覚める前日、ふらりと姿を消したそうだ。
一週間と同じ場所にじっとしていられないあたり彼女らしい。
あの気まぐれ女のこと、その内ひょっこり現われるだろうと思っていたが、いなくなって一月弱。
音沙汰もなく、もう会うこともないのかもしれないな、なんてことを私は考えていた。
吸血鬼らしさなんて微塵もなくて、嵐みたいに騒がしく、迷惑ばかりかけてくれたバカ女だったけど、彼女が居なければディに勝つことは出来なかっただろう。
一言くらい礼を言っておきたかった。
いつもの私らしくもない、そんな思考。とるに足らない小さな変化。

「・・・まあ、どうでもいいか」

誰にともなく、月に向かって独り言ちる。

「何が?」

返って来るはずのない独り言への応答に、ビクリと私振り返った。
そこに居たのは、もはや見慣れた銀色の髪。

「銀迩、あなたね気配を消して近づくの止めてくれない?悪趣味よ」

ため息と共に告げる。

「いくら姫流ちゃんの頼みでも、それは出来ない相談だね」
「・・・なんでよ?」

んー、と困ったような、だけどどこか勝ち誇ったような。
そんな表情を浮かべて応えた銀迩に、私は疑問を投げる。
数秒の思索。銀迩は口を開いた。

「こうして姫流ちゃんを驚かすのが―――」
「わかった。もういいわよ・・・」

考え込んで出てくる答えがそれか。
皆まで聞かずとも言いたいことを理解した私は、そう遮って踵を返す。
元より意味のない夜の散歩。
無粋な男に興を削がれてまで続けることもない。
そろそろ帰ろうかと数歩進んで―――首だけ振り返って言った。

「ところで、あなた。どうしてここにいるわけ?」

ふっ、と銀迩が笑う。

「姫を護るのはナイ―――あ、待って姫流ちゃん!」
「うるさい」

見限って、すたすたと歩を進める私を追うように、銀迩は横に並んだ。
視線もくれず、端的に私は告げる。

「ついてこないで」
「そんな、つれないこと言わないでさ。姫流ちゃんだって女の子なんだし危ないだろ」

横で何か言っている銀迩を無視して、屋上から内部へと続く扉に手をかける。
ふと、見上げるその先には壊れた貯水槽、さすがにもう周囲は濡れていなかった。
おそらくは、あの戦いの中、最も顕著な傷痕だろう。
数瞬の間、思いを馳せる。
たった数日間に起きた、幾つかの出会いと、幾つかの別れ。
戦闘、そして結末。
果たして、私は私の呪縛を断ち切ることが出来たのか―――

「ま、それもどうでもいいか」
「・・・姫流ちゃん?」

黙って、扉をくぐる。
もう、ここへは来ないだろう。

終わりがあるから始まりがあるように、始まりがあれば終わりがある。
その境界を今、私は越えたのだから―――


魔狩る朱鷺色/了
2003/11/29 20:48脱稿


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