―――感応者
それが、
湯浴みする朝、
割烹着の悪魔の紡いだ言葉。
20/巡る月・中
熱い滴が身体を打つ。
湯気で霞む風呂場の中、曇りかけの大きな鏡に映るのは、一糸纏わぬ自分の裸体。
首筋から肩、そして胸元へとシャワーの湯が流れ伝う。
泡立ったシャンプーを丁寧に洗い流し、身体に残った泡をしっかりと流す。
寝起きで胡乱な頭を熱い湯が覚醒させていく。
「・・・ふぅ」
塗れた髪を掻きあげ、鏡を覗き込む。
そこに映っているのは年相応に成長した無愛想な女。
じー、とその顔を眺め数秒、私はにっこりと微笑もうと表情をつくった。
最後に見たのは一体何年前なのだろうか、見慣れない顔である。
「・・・馬鹿みたい。」
だから、
そう呟いて、私は湯船に入った。
―――昨晩、
ちょろちょろと寄り道をするアルクェイドを連れて遠野の屋敷に戻ったのは結局、時計の針が九時を回ろうとしている頃だった。
ただの帰り道に何故あそこまで時間がかかるのか、たかだか数キロの道を3時間もかけての帰宅に私は怒りを通り越して呆れていた。
「んー、楽しかったー」
そういって伸びをするアルクェイドは満足そうな笑顔で私に同意を求める。
「・・・あなたね、一体どれだけの寄り道をしたら気が済むわけ?」
屋敷の扉を開けて中に入りながら首だけ振り返って私は訊く。
続いて入ってきたアルクェイドは、にへらと笑ってたくさんとだけ答えた。
「琥珀、ただいまーっ!」
奥に向かっていうアルクェイドの大きな声に耳を押えてロビーを進むと、
リビングの方からパタパタと琥珀さんが出迎えに出てきた。
「おかえりなさいませ、姫流ちゃん、アルクェイドさん。随分遅かったですね?」
「・・・どこかの誰かが寄り道してたのよ。」
ジロリとアルクェイドに視線を向けて私は言ったが、その当人はというと、
「琥珀、ご飯はー?」
などといいながら、既に食堂の扉に手をかけているところだ。
「あは、それはそれは・・・楽しかったですか?」
食堂へ向かう私の横に並んで歩きながら、にこにこした表情で琥珀さんはいう。
「冗談、疲れただけよ。」
そっけなく応える私を見て、琥珀さんはクスクスと笑う。
「・・・なに?」
「いえいえ、それじゃあご夕飯の方をお作りしますね。何がいいですか?」
眉を寄せて振り返った私を、琥珀さんは話題を変えて誤魔化す。
声は殺しているのだが、その笑顔がどこか腑に落ちない。
「別に何でもいいわよ・・・」
憮然とした表情で私がいうと、
「それなら、ピザでよろしいですか?」
と、琥珀さんは訊いた。
その言葉にピクリと反応する。
「・・・ピザ」
「少々時間がかかりますが・・・」
「ん、問題ない。」
ここで好物を持ってくるあたり、流石は琥珀さん。
私はポーカーフェイスを装って食堂に入る。
「それでは、少し待っていてくださいね。」
そういって、琥珀さんはキッチンに入っていく。
食堂ではアルクェイドがフォークとナイフを手に既に席に着いていた。
テーブルマナーも何もあったのもじゃない。
「・・・あなたホントにお姫様なの?」
その対面の席に着きながら、ため息と共に私は訊く。
「む、どういう意味よ?」
「・・・そのままの意味よ。」
むっとした表情でいうアルクェイドだが、
その両手にあるものが全ての反論を否定することには気付いていないらしかった。
ブーブーと文句をいうアルクェイドを私はあしらう。
十数分のそんなやり取りの後、焼きあがったピザを持って琥珀さんが現れた。
「お待ちどーさまでした。」
そういってテーブルに置かれたのはサラミ、ピーマン、オニオンが載ったベーシックなピザである。
こんがりと焼けたチーズの香りが食堂に漂い、食欲を刺激する。
まだ文句言い続けるアルクェイドを放置して、私はその一切れを口に運ぶ。
「・・・・・・。」
もくもくと、その一切れを平らげた。
「お味の方はどうですか?」
「・・・美味しい。」
「うん、美味しいね、これ。ピザっていうんだっけ?」
対面ではアルクェイドもピザをかじっている。
ありがとうございます、と満足そうに琥珀さんはいって、グラスにワインを注ぎ始めた。
「・・・アルクェイド、食べたことないの?」
次のピザに手を伸ばしながら私は訊く。
「うん、情報としては知っていたけど、食べたのは初めてかな。」
ハンバーガーとかならあるんだけどね、といって美味しそうにピザをかじる。
注がれたワインに口をつけながら私は考える。
活動期間の短いアルクェイドには、こういった知識だけの知識というのが多いのだろう。
本来それは、使われることもなく体験することもなく、ただ知っているというだけ、眠っているだけの知識である。
それが彼女の在り方であり、当たり前のことなのだ。
「・・・なんだ」
簡単なこと、アルクェイドにお姫様の雰囲気がないのも当然。
今までそれを実践する場すらなかったのだ。
知識だけで気品など身につくはずもない。
「・・・姫流? どうしたの?」
頬にピザソースをつけたアルクェイドが怪訝そうに訊く。
「ん、なんでもない・・・それより、琥珀さん。」
「なんですか?」
横に控えていた琥珀さんは即座に反応する。
「銀迩はどうしたの? 見当たらないけど・・・」
「伏見さんならお休み中ですよ。」
周りを見ながらいう私の問いを簡単に返す琥珀さん。
「・・・また寝てるの?」
呆れた表情で私はいう。
今日まで三日も眠っていただけじゃ足りないのだろうか。
どう考えても寝すぎである。
「はい、ちょっと強いお薬をお飲みになられていますので・・・」
「強い薬?」
琥珀さんが強いというのなら、それは相当の薬なのだろう。
私は眉を寄せ説明を促す。
「ええ、足の治癒のためです。明日の夕方にはお目覚めになるかと・・・」
笑顔で言った琥珀さんは、心配しなくても大丈夫ですよーと付け足して、
次のピザを取りにキッチンへ入って行った―――
「・・・明日の夕方、か」
じゃぽん、と潜っていた湯から頭を出して独り呟く。
あれから12時間あまり、琥珀さんの言う通りに銀迩は起きる様子がない。
おそらくこのまま、夕方まで眠ったままなのだろう。
「まったく、何を考えているのやら・・・」
後から琥珀さんに聞いた話では、その薬はまだ研究段階のもので副作用の恐れもあるらしい。
黙って普通の薬を飲んでいれば1週間程度で完治するものを、
そんな薬を飲んでまで早く怪我を治す意味があったのだろうかと疑問に思う。
「―――あ」
考えること獣数秒、一つの考えが頭に浮かんだ。
銀迩もディと相見えるつもりなのだ。
今夜の予定はあくまで居場所の探査であり、例えその居場所が判明したところでわざわざ満月の夜に攻め込むつもりなど毛頭ない。
確かにアルクェイドの力は最大限活かせるだろうが、それはディにとっても同じことである。
満月の夜に真祖を相手にするほど私は馬鹿ではない。
しかし、上手くアルクェイドがディの所在を突き止めれば、
いや、街程度の範囲にでも索敵範囲を狭めることに成功したなら。
早ければ明日、遅くとも3日後にはその地に向かうことになるだろう。
そうなると、1週間では遅い。
先日の銀迩の雰囲気、あれはある種覚悟をした者のそれだ。
たとえそれが未知の副作用だとしても、目的の為なら手段を選ばないということか。
「・・・呆れた」
「なにがですか?」
「――――っ、!?」
ガラガラという扉を開ける音と共に、浴場に声が響く。
慌てて視線を向けると、そこには小さなタオルで申し訳程度に前を隠した琥珀さんが立っていた。
「驚かさないでよ・・・」
「あら、伏見さんはまだお休み中ですし、覗かれるような男の人は他にはいませんよ?」
クスクスと笑いながら琥珀さんは近づいて来る。
私は湯船に浸かり直しそれを見る。
「分かってるわよ、そんなこと・・・」
タオルから覗く久々に見た琥珀さんの肌はやはり若々しく、歳相応という言葉が幻想だと思い知らされる。
少なくとも琥珀さんの辞書にはそんな言葉は無いのだろう。
そんな無茶を通す琥珀さんの薬の副作用、流石に銀迩の身を案じてしまう。
「どうしました?」
私のため息に気付いたのか、琥珀さんは首を傾げている。
まぁ、案じたところでどうなるものでもない、銀迩自身で決めたこと。
後悔するもしないも銀迩次第、琥珀さんの薬のことは教えておいたので私に責任なんかありはしないのだ。
「なんでもない・・・それよりどうしたの? 急に入ってきたりして、」
「いえ、たまには姫流ちゃんのお背中でもお流ししようかと思いまして。」
そういった琥珀さんは、軽く湯を浴びて湯船に入る。
「あは、姫流ちゃんとお風呂なんて何年ぶりでしょうか・・・」
にこにこと懐かしむように琥珀さんは私を見る。
確かに誰かと風呂に入るなど、私にとっても久しぶりだ。
遠野の屋敷の風呂は大きく、二人が入ってもまだまだゆとりがある。
アパートのユニットパスではこうはいかない。
まぁ、一緒に入る相手がいるわけではないけれど・・・
思考を切り替える。
「・・・それで、ホントは何を企んでるわけ、琥珀さん?」
チラ、と横目に琥珀さんを見る。
琥珀さんが何の目的もなく一緒の風呂に入ってくるとは思えない。
内緒話程度でわざわざこんなことはしないだろう。
「―――あは、さすが姫流ちゃんですねー、バレちゃいました?」
てへ、と舌を出して琥珀さんはいう。
私はため息を吐いて天井に目を向ける。
高い天井と、湯気で霞みがかったライトの明かり。
たっぷり数秒を置いてからそれで、と話を促す。
「あのですね、昨日姫流ちゃんが帰ってくる前に伏見さんから話をお聞きしたんですが・・・」
くるりと身体ごとこちらを向いて琥珀さんは続ける。
「今晩、姫流ちゃん『お仕事』に行かれるそうじゃないですか?」
まったく、銀迩のやつ・・・
心の中で舌を打って、私は頷く。
「まぁ、今さら止めはしませんけどねー、今回の敵さん、相当お強いみたいじゃないですか。」
「そう、ね・・・」
「でしょう? そこでこの不肖琥珀、かわいい姫流ちゃんのために一肌脱ごうと思ったわけですっ!」
ぐっ、と握り拳をつくって琥珀さんは力説する。
「一肌脱ごうって・・・どういうこと?」
まさか風呂で背中を流すことじゃないだろう。
怪訝に訊く私をみて、琥珀さんはクスリと笑った。
「ところで、姫流ちゃん。私が感応者ってことは知っていますよね?」
「え? ええ、知ってるわ―――って、まさか・・・」
むふふ、と怪しい笑顔を浮かべて近寄る琥珀さんを見て、私は後ずさる。
「き、今日は調査だけで戦闘は―――」
「備えあれば憂いなし、ですよ?」
じりじりと琥珀さんが近寄る。
「い、いいって―――」
とん、と浴槽の端に背中がぶつかった。
「まあまあ、遠慮なさらずに・・・」
両手をわきわきさせて琥珀さんが迫る。
振り返ってみたところで、もう後は無い。
「ちょ、琥珀さ―――」
「あは、観念してくださいな・・・」
そういって、既に射程距離に入っている私に向かい琥珀さんは手を伸ばして来る。
気が付いて左右をみると、何時の間にか隅に追い詰めらていた。
口元を引きつらせ、微かな望みをかけて前を向くと、そこにはにっこりとした琥珀さんの笑顔。
既に、逃げ道は―――ない。
巡る月・中/了
2003/04/01 23:31脱稿