世界は夜の闇が覆い、
月の光が辺りを彩る。
遮蔽物の無いビルの屋上には、
淀みを流す風と二つの影が伸びていた。
15/魔月夜V
「―――切り札はね、最後にみせるものなのよ、伏見くん。」
女、青崎橙子のその台詞の直後、その口調の変化に驚く間もなく目を見開く。
ガコンという音と共にビルが揺れ。
そして、気付いた時には宙を舞っていた。
「ぐ、っ」
咄嗟に受身を取ったが数メートルの落差の衝撃を受けきることはできない。
全身が、特に先の無理な動きで傷めた足がズキンと激しく痛んだ。
軽く舌を打って、思考を総動員し現状の把握。
―――なるほど、あれか。
数秒前まで自分の居た場所。
そこにはコンクリートを突き破って蠢く、茨に似た触手があった。
そして、取り囲むように無数の触手がビルを覆っている。
立ち上がろうと足に力を込めて、
「―――っ、」
俺は痛みを無視して立ち上がる。
今はそんなモノに構っている暇はない。
この瞬間に追撃が来ないとも限らないのだ。
「ほう、今ので起きるとは・・・おまえ、本当に身体はノーマルか? 普通は立ち上がるどころか、死んでもおかしくないはずだが・・・」
さも不思議だといったその声の方へ視線を向けると、女が悠々と腕を組んで立っていた。
結界の束縛は俺が吹き飛ばされたと同時に、触手によって破壊されたらしい。
元よりあの触手は球状に張られた結界の下部を突き破っているのだ。
今更驚くことではない、か―――
月の夜、周囲に茨の触手を従わせたその姿。
口元には薄っすらと笑みが浮かんでいたが、その眼に光る橙の色は底知れない冷酷さを感じさせる。
伝記による吸血鬼とは装いも、その能力も全く違う。
しかし、その様子は額縁に収まった絵画さながら―――
そんな余計な考えが頭に浮かんで、振り払う。
「・・・普通っていうなら、こんなことが出来る時点で普通じゃないさ。」
いったと同時に背後に迫っていた触手が霧散する。
それを確認して俺は眉をしかめた。
与えた意思は『消えろ』
それは言葉通り塵一つなく消えろという意思だ。
霧散し空に流れる触手だった『塵』の存在はそれに矛盾している。
―――魔女[おまえたち]を超えるもの。
なるほど、この触手の耐性。
自己の使い魔を精霊クラスに祭り上げたといったところか。
魔女の魔法に耐性を持つのは対する世界の眷属のみだ。
先の結果、あれはそうでなくては説明がつかない。
流石は封印指定の魔術師、その能力は既に二十七祖クラスか・・・
「本音をいうとコレはあまり出したくなかった、加減ってものを知らないんでな・・・見ろ、既にこれだ。台風でも来たら盛大な雨漏りが見れるぞ。」
それに協会の網に引っかかる、と続けた女は自嘲気味に笑った。
しかし、その眼は冷静にこちらを見据えている。
その視線を正面から受け、俺は短く息を吸って吐く。
そして、一つの意思を具現する。
「ほう、浮遊・・・飛行か。流石、魔女の血を引くだけのことはある、道具もなく空を飛ぶとは・・・して、どうする? もしかして、そのまま逃げるのか?」
興味深そうに俺を眺めて女は言ったが、なんのことはない。
あの状態じゃ足は使えないし、痛みは邪魔だ。
それに、無理をすれば二度と使い物にならなくなるかもしれない。そう、思ったのだ。
だから、手っ取り早く浮いただけのこと。逃げるつもりなどさらさらない。
そんなことを考えていると、女は眉根を寄せて呟いた。
「―――む、迷い猫・・・いや、結界を壊されているとはいえこの距離まで気配を掴ませないんだ、それなりのモノか。」
呟き、どこか面白くなさそうに視線を一度外に向ける。
「まあ、どっちでもいい。誰かは知らないが運がなかったと思って諦めろ―――いけ。」
言った。
その声と同時にビルを囲う触手の一部が外に向かって伸びていく。
いや、正確には伸びていった気がした、だ。
およそその速さは人の許容限界ギリギリである、不意の動きなど眼には追えない。
認識できたのは触手の一部がどこかへ行ったということだけである。
そして、その数瞬後には離れた場所から地を叩くような音が聞こえてきた。
なるほど、侵入者でも入ったのだろう。
しかし―――
「―――余所見してていいのかい?」
ザラ、と砂のように女の腕が崩れ散った。
スクリーンに映し出された映画のワンシーンを見ているような、まるで他人事だというようなその表情。
次の瞬間、凍えるような視線を向けられると同時、俺は空を滑るように移動した。
背後からは触手が風を切る音が聞こえる。
「さて、どうしたものか・・・」
空を飛んでいるので足は痛まない。
しかし、この触手には『魔女』の魔法が効きにくいのだ。
痛まないからといって―――
ビュウ、と
触手の一つが前髪を掠めて、銀の髪が数本千切れて舞った。
ちっ、と舌を打つ。
―――いつまでも避け続ける訳にもいくまい。
直接干渉ができないのなら、
「・・・アレでいくか。」
呟いて、手を翳す。
その手の意味は意思の補助。
『爆発しろ』という意思を具現したその魔法は、空間を爆発させ、指向性を伴った衝撃として触手を襲った。
周辺を囲む触手達の3分の2程が吹き飛び、屋上のコンクリートに叩きつけられる。
その衝撃で、その内のさらに3分の1程が潰れ、残りの触手は何事も無かったかのように再度追撃を始める。
絶え間なく襲いくる触手を避けながら考える。
なるほど、物理的な衝撃は効くみたいだ。
なら―――
「・・・はぁ」
ため息を吐く。
もう一度、潰れた触手に目を向けると、それらの触手はウゾウゾと復元を始めていた。
攻撃が効いたって、復元されちゃ意味が無い。
そんなことを考えながら、片腕で佇む女を見ると涼しげな表情を浮かべ、どこか楽しそうにビルの外を睨んでいた。
こっちも件の迷い猫に興味が無いわけではないが、触手の動きを計算するので手一杯。
とても、余所見をしている暇などない。
それに、もう魔法の無駄打ちはしていられない。
せいぜいがあと三度、それを超えたら―――自分を維持する自信はない。
既に信号は黄から赤に変わっているのだ。
触手の攻撃を紙一重で避けながら目を向けると、一変して女は難しい顔をして眉を寄せていた。
「―――おっと、」
ビュウ、と髪を掠める触手に意識を戻す。
危ない、危ない。
今のはもう少しで直撃をくらうところだった。
それにしても、こう数が多いと誘導するのも一苦労―――
そんなことを考えていると後方で小さな声で女がいった。
―――いけ、と
同時、追撃する触手の約三分の一が離れていく。
残ったのは最初の半分くらいの数になるだろうか、
しかし、まあ、これはチャンスだ。
触手の群れの中心部を突っ切る。
すれ違いざま触手の刺が掠め、右頬が裂けた。
「―――っつ!」
思ったより深い傷なのか、血が流れいるのがわかる。
が、そんなこと今は構っている暇はない。
振り返り、触手の位置を確認し、その認識と同時に魔法発動。
何事も無かったかのように触手が迫り―――千切れ飛んだ。
一つ息を吐く。
自身の周りに存在する空間の断裂に気付いていないのだろう。
次々と迫り、千切れ、復元し、迫る。
半永久に続く螺旋の檻だ。
相手をする必要の無くなった触手から目を離し、下方に広がるビルの屋上に目を向ける。
気が付けば屋上から10メートル越えの高さまで来ていた。
「落ちたら死ぬねこれは・・・さて、」
呟いて、高度を下げる。屋上に降り立つと同時、女は小さく叫んだ。
「―――馬鹿な、空想具現化だと!?」
驚いたその表情は、こっちのコトを全て忘れているようにもみえる。
そして、宙に浮かぶ触手の状況を一瞥し、女は一つ息を吐いた。
「ふん、猫かと思っていたら・・・アレなら死神の方がまだ可愛げがあるってものだ。」
一人納得したというように、ため息と共にそんなことをいう。
「・・・観念したのかい?」
十分に距離を空けて声をかけた。吸血鬼のポテンシャルを警戒してである。
ただでさえ足の怪我のせいで動きは制限されるのだ。
油断は禁物である。
「敗因は戦力の分散か―――いや、総力で挑んでも勝てたかどうか。」
女がパチン、と指を鳴らすと同時、触手の再生は停止しザラザラと塵と化していく。
恐らくは魔力の供給を停止したのだろう。
いかな強力な使い魔とはいえ、使い魔だからこそ主による魔力の供給は必須である。
「それにしても、白の姫とは・・・たいした切り札だな。感心を通り越して呆れるよ。」
「・・・何の話―――しまっ」
女の周囲に影が現れ、次の瞬間には文字通り綺麗さっぱりと消えていた。
『まだ死ぬわけにはいかないんでな、戦略的撤退をさせてもらおう―――』
一人になった屋上に女の捨て台詞が響く。
後に残ったのは満身創意の男に、ひび割れて焦げた荒れ果てたビルの屋上。
月を背にして伸びた影はどこか寂しさを漂わせている。
―――結局倒せなかったか。
子を相手にあれじゃディを倒せるか不安になる。
「まあ、彼女が特別強かったんだと思いたいな、と・・・」
大きな収穫も無かった上に足は傷めるし、魔法の使いすぎで血が沸騰寸前。
ホント、散々な結果、だ―――
そんなことを考えながら、俺は意識を失った。
魔月夜V/了
02/11/25 20:26脱稿