既に両の腕はない。
脚は傷付き逃げることさえ叶わなく、
名も無き死徒は再生の始まらぬ自身に疑問を持つことも忘れ、
ただ、己に降りかかった災厄を諦観していた。
張り付けられたその姿はさながらイエス、
ならばそこに佇む少女はロンギヌスの聖槍だろう。
死を克服したはずの自身に歩み寄る死に、
名も無き死徒は口を開く。
「娘・・・名は・・・?」
最後に問われたその問に死をもって返し、
朱鷺色の少女は背を向けた。
そして振り返る事もなく紡ぎ出される言葉
「姫流、七夜姫流[ななや きる]。魔を狩る魔よ――」
1/兆始[キザシ]
昨夜のつまらない仕事の報告をする為、私はアパートを出た。
既に伝わっている結果を報告するために学校をサボり、県境にある実家に戻るのだ。
「まったく、なんて無駄かしら」
ため息をつきながらも律儀に向かうあたり、私もまだまだあまい。
私鉄を乗り継ぎ、バスに揺られ最後には歩いて山を登る。
鬱蒼と森茂る山の中に七夜の屋敷はある。
時代掛かったその建物は、辺りを包む自然結界に守られ百を超える年月を過ごしてきたのだ。
外敵を排除する為の罠の数々を避けながら山を登り、その先にある屋敷に入る。
相変わらず古臭い。
まあ今まで百年以上変らなかったものがたった一月足らずで変るわけもないだろう。
私はいつものように、書斎へと薄暗い廊下進む。
「―――姫流か、こっちだ。」
応接間の前を通りがかった時、唐突に中から声が掛けられた。
気配を殺している私に当然のように気付き声を掛ける。
流石、一線を退いたといえど七夜の当主だ。
私には中に気配なんて感じられなかったのに。
「何の用なの父さん。今日学校あったんだけど―――」
襖を開けると同時、私は文句を並べ―――部屋の中で座っている客に驚く。
「やあ、姫流ちゃん。元気だった?」
「―――伏見銀迩、なんであんたがここにいるのっ!?」
予期せぬ客の名は伏見銀迩。
学校の先輩で、銀髪で、下の学年まで噂が広がるナンパ男で、女の敵。
そして、入学当初から何かと私に声をかけてくる迷惑な奴だ。
黒を纏う学園ナンパ師、それが何故こんなところに居るのだろうか。
「なんでって、パパにお願いに来たんだよ。姫流ちゃんを下さ―――」
私の投げた錐が二本、銀迩の両こめかみを掠め壁に刺さる。
「―――次は、当てるわよ。」
いって銀迩を睨みつける。
掲げる右手には四本の錐。
だけど相手は別段驚いた風もなく続けた。
「・・・危ないなあ、だけど怒った姫流ちゃんもかわいいよ?」
警告はしたからね、そう心の中で言ってにっこり微笑む。
狙いは両耳。
二本ずつ左右の耳に向かって錐が飛ぶ。
避けられるはずがない。
まあ、これで少しはこりるでしょう。
「―――えっ!?」
眼を疑う。
耳に特大のピアス穴を空けるはずの錐。
―――それが突然燃えて灰になったのだ。
「・・・そういうこと、魔女なんだ俺。魔法使いって知ってるよね?」
―――魔女?
―――魔法使い?
―――誰が?
―――知ってる?
目の前で起きた突然の出来事と告げられたその言葉。
私はそれを結び付られず困惑する。
なんていったって、目の前にいるのは学校で何度も顔を合わせてきた男なのだ。
それが突然魔女だ、魔法使いだなどと言われたところで信じられようものか。
ましてそれが伏見銀迩ならなおさらだ。
「・・・挨拶はそれくらいでいいだろ、姫流。伏見君も話を戻すぞ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ父さん!挨拶はそれくらいでいいとか、話を戻すとか、もっと私にわかるように説明して!」
「説明といわれても見たままだ。彼は魔女の血を引く現代の魔法使いで、今は仕事の話をしている。」
なんでもないことのように答える父は続けてとんでもない事を言った。
「それから彼におまえのことも話したぞ、仕事の支障になるといけないからな。」
―――ハイ?オマエノコトモ話シタゾ?シゴト?
「大丈夫だよ、姫流ちゃん。別に言いふらしたりしないし―――熱っ!」
後ろ手に錐を飛ばして銀迩の前に置かれた湯のみが炸裂する。
不意をつかれて避けられなかったのか、まだ湯気の立つお茶がかかったみたいだ。
「あなたは黙ってて。」
そう言いながらも目は父親を見据えている。
「・・・悪かった、勝手に話したことは謝る。だからそう怒るな、な?」
黙って私は錐を構える。
怒り心頭の私を見て父は困ったように頭を掻いた。
「・・・わかった、こうしよう。おまえの欲しがってたアレをやる。だから取り敢えずソレはしまえ。」
やれやれ、といった風に肩を上げ父はいった。
「・・・物で釣ろう、って考えは気に食わないけど・・・わかったわ。」
いって私は錐をしまい、ソファに座る。
対面の銀迩は何か非難がましい視線を向けてくるが無視することにする。
「で、仕事って何の話?昨日の死徒ならもう片付けたわよ。」
ソファの上で伸びをして簡単に言う。
既に私の仕事は知られているようなので構わないだろうという判断だ。
「それはご苦労、報酬は口座に振り込ませておく。―――が、今日の話しはそれではない。」
先ほどまでの父親としての顔ではなく、七夜の当主としての顔をした父さんはそう言って銀迩に目を向けた。
つられて私もそちらに目を向ける。
対面に座る銀迩は今まで見たこともない真面目な顔をして話しを継いだ。
「姫流、闇色の支配者―――って知ってるかい?」
急に呼び捨てにされたことに途惑いながらも私は記憶の引出しを探る。
そして、たっぷり10秒たって思い出した。
「闇色の支配者って―――はぐれ真祖、ディ・ダークネス・・・よね?」
はぐれ真祖、ディ・ダークネス「闇色の支配者」。
一応教会に存在が伝わっているけど、その子である死徒しか確認されていないという。
伝聞によると魔術師の血しか吸わず、だからこそその死徒は強力であるという。
そして、その魔術師の魔術を自分の知識として取り込むらしい。
根源より生まれ、根源を目指す―――抑止力の具現。
その在り方は、私には何処か滑稽にみえる。
「なに?ソレの死徒でも狩れっていうの?」
確かに魔術を使う死徒は手強い。
だがそんなものはこちらが心構えさえしていれば問題ではない。
湯の雨が降るのと同じ、傘があれば湯も水も関係ないのだ。
「―――違う、死徒じゃない。ディ・ダークネスそのものの始末だ。」
「―――は、そのものの始末?」
今、この男はなんと言った?
私は目を丸くして言う。
「真祖を狩れっていうのっ!?」
正気の沙汰とは思えない。
真祖の始末なんて―――
「そんなのは教会の仕事、埋葬機関があるじゃない!」
死徒ならいい。
死徒であるならどんなものでも殺してみせる。
所詮元は人間なのだ、どうとでも出来る。
だが、
真祖なんて規格外のモノを私が、いや七夜が殺しきれるだろうか?
いや、出来るはずがない。
人間の血だけで自身を特別なものにまで鍛えあげた七夜は、自らの能力だけで魔を狩る家系だ。
そこには真祖、すなわち世界を殺しきるほどの概念武装はない。
「残念なことに教会は動いてくれそうにない。いっただろ俺は魔女だって。どっちかといったら協会よりなんだ。ほら、協会と教会は対立してるからさ」
だから無理だ。と両手を上げて銀迩はいう。
「あ―――」
忘れていた。教会と協会、この二つは遥か昔から対立する関係にある。
なるほど、それならば無理だ。埋葬機関は動かない。
しかし―――
「手段がないわ・・・真祖となると死徒とは訳が違うのよ。知らないわけじゃないでしょう?」
「だけど現代の七夜には魔の血が流れている。」
「そ、それはそうだけど―――」
今を遡ること数十年、三代前の七夜の当主は「遠野」という魔の流れを汲むモノと交わった。
そしてその子孫が現代の七夜だ。
私がまだ十歳になる前に亡くなった曾祖父は、その頃どこまで理解していたのか分からない私にいろいろ話してくれた。
曰く、ものすごい紆余曲折の人生で、私の曾祖母とは兄妹だった時期があったらしい。
今でもどうして兄妹が結婚なんて出来たのかはわからないけど、資産家の曾祖母の力技でどうにかしたという話しだ。
それに今、私が使うある一つの体術もその頃に曾祖父が高校の先輩だかに教えてもらったものらしい。
どうして高校の先輩がそんな体術を身につけていたのかは教えてもらえなかったのだけど、
カレーがどうとかで、頼み込んで教えてもらったという話しだ。
兎にも角にも、現代の七夜には魔の血が流れている。
狩るべきものと狩られるべきもの。
それが私の、七夜の血。
「朱鷺色の魔狩り、魔を狩る魔。姫流、チカラを貸してくれないか?」
私に流れる魔なる血の力。
その、今まで頑なに封印してきた未知なる力。
それを使うなら、あるいは活路が開けるかもしれない。
だけど、それは―――
「そう、キミにとっても未知の領域だ。だから無理強いはしない。」
そこで銀迩は立ち上がった。
「何も今すぐ結論は求めない―――ていってもそう余裕があるわけじゃないけどね。2、3日で返事をくれればいいよ。」
私は座ったまま、見上げもしない。
「―――それじゃあね、姫流ちゃん。あ、ケータイ番号はパパに教えといたから。」
そう言い残し、黒を纏った魔女なる男は帰っていった。
私は銀迩の軽口にも反応せずに考え込む。
―――真祖狩り、七夜の血と遠野の血。退魔と魔。
二人きりになった応接間を支配する沈黙は、日が沈むまで続いた。
兆始/了
02/04/17 9:10脱稿
02/04/24 23:15改訂